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2024.02.01

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魯迅の民族心

 中国浙江省に生まれた魯迅(1881-1936)は、流入してきた西欧科学の影響を受け、中国の近代化には西洋医学を学ぶ必要があると考えました。そして1902年、清国の留学生として来日しました。

 初めは東京弘文学院に学びましたが、後に仙台医学校に転じました。ここである日、日露戦争のニュースを見ていた彼は、ロシアに協力した中国人が処刑される場面を目にしました。そしてそのシーンによって心が傷ついただけではなく、その見物に集まっていた中国人が何も行動しようとしない姿に失望したのでした。これにより彼は、中国の民衆に必要なのは科学ではなく意識改革であると悟り、弁髪を切り捨てて帰国したのでした。

 魯迅は学校で教師を務めるかたわら、文筆活動に入りました。彼の作品には反封建、反帝国主義の色彩が濃く、その思想は中国人民に大きな影響を与えました。代表作「阿Q正伝」はノーベル賞候補になりましたが、魯迅はこれを辞退しています。

 彼は肺結核を患っていたうえに、ヘビースモーカーでした。これに風邪をこじらせたことが誘因となり、55歳で亡くなりました。結果的に彼は医学を捨てましたが、その活躍は大医となって国を医したと言われています。

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