2021.06.18
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1846年、当時世界最大規模のウィーン総合病院の産科に、ゼンメルワイスが勤務しました。この時期の分娩に伴う産褥熱(さんじょくねつ)の死亡率は、なんと10%を超えていました。当時この病気は、宗教的な習慣や食事の温度、乳汁の異常など、現在では考えられないような原因によると思われていました。彼は死亡した産婦を解剖することになったのですが、死因を究明することはできませんでした。
1847年、彼の先輩である法医学教授が、病理解剖の最中にメスで指を傷つけ、産褥熱と同様の症状を起こして亡くなってしましました。これによりゼンメルワイスは、産褥熱の本態は感染症であり、細菌が全身に回る敗血症によると悟ったのでした。しかし産科の教授は彼の意見を否定し、実際に死亡率を激減させた彼の業績に対し、嫌悪感をあからさまにしました。教授の冷たい仕打ちによって、ゼンメルワイスは失意のうちに産科を去り、ハンガリーに帰ることになりました。
後になって、ゼンメルワイスへの不当な対応に、ウィーン医師会は陳謝し、「ゼンメルワイスの発見は、ジェンナーの種痘法に比肩する重要な発見である」と述べ、その偉業を称えました。
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