2026.01.06
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英国人ダーウィンCharles Robert Darwin(1809-1882)は、医学を学ぶためにエジンバラ大学に入学しました。彼の父親が、自分と同じ医者にしようとしたのでした。しかしダーウィンは血を見ることは苦手で、外科の実習中には卒倒してしまう始末で、卒業を諦めてしまいました。ここから彼の興味は、もっぱら博物学に移っていきます。
彼は1831年からの5年間にわたる世界一周の航海で、生物の観察を通じ、種が変化する可能性について考え始めました。しかし慎重で凝り性であったダーウィンの進化論は、なかなかまとまりませんでした。また船を降りてからは定職につかず、資産家の父に養ってもらう、気力のない生活を送っていました。
1858年、ダーウィンのもとへウォーレスという無名の博物学者から論文が届き、そこにはダーウィンと同様の考え方をした進化についての記載がされていました。慌てたダーウィンは、1859年に「種の起源」を電撃出版し進化論の名声を独占したのでした。
怠け者のダーウィンをその気にさせたのは、競争相手の出現でした。ウォーレスがいなければ、「種の起源」は世に出なかったかもしれません。どんな仕事でも、自分のモチベーションを高めてくれる、「ある種」の才能を持ったライバルが大切になります。
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